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名古屋高等裁判所 昭和38年(ネ)41号 判決 1965年3月31日

控訴人 清水英一 外二名

被控訴人 清水清明

補助参加人 米倉静栄 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用中補助参加人等の参加によつて生じた費用は補助参加人両名の連帯負担とし、その余は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事実

控訴人等代理人は主文第一、二項同旨、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人代理人は「本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人等の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、認否は左記のほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴人広瀬、辻井両名代理人は次のように述べた。

第一、「原判決第一三丁表四行目に、控訴人等の主張として被控訴人等主張「三(2) の事実は認める」と述べた旨の記載があるが、右三(2) で被控訴人等が主張する「出捐財産は遺言のそれの一部である亡千代二郎所有の三桝紡績株式会社の株式二〇万円」との事実を認めたものではない。

また、原判決第一三丁表末行に、「亡千代二郎の所有していた三桝紡績株式会社の株式」とあるのは、「将来所有権移転が行われるなら、その際千代二郎が所有しているであろう株式」との控訴人等主張の誤記である。同一六丁裏一二行目と一八丁表一行目との「遺言で財団を設立しようという意思にない」とあるのは、控訴人等の主張しなかつたところであり、右摘示部分は削除されるべきである。

第二、

(一)  千代二郎がその生前に被控訴人等主張の寄附行為をしたからといつて、民法第一〇二三条にいう「生前処分その他の法律行為」があつたことにはならない。そのような処分、法律行為は成立していない。すなわち、寄附行為という行為はその企図した財団法人を作るということを目的とする行為であり、それから直接出て来る法律上の効果は、主務官庁に財団法人設立許可申請をなし得るということだけである。寄附財産が物権的にも債権的にも処分される効果を発生させるものではない。財産処分行為が存在するというためには、相手方がなければならない。ところが、寄附行為がされた時には、寄附財産を受けるべき相手方――法人は存在していない。従つて、寄附行為者の意図の中には生れるべき法人に財産を与えるということを含んでいるのが現実だとしても、そうしたものを含んだ寄附行為からの効果としては、せいぜい、法人ができたとき、これに財産を出捐する義務を負うということに止る。すなわち、寄附行為に含まれる財産処分行為的なものは、いわば贈与契約の申込の意思表示――それもまだ存在しない相手方に対する――に近いものでありうるにすぎない。

以上のように、寄附行為がなされただけの段階では、財産処分行為とかその他財産関係に法律的な変動を来す法律行為は、その相手方が存在しないのであるから、成立していないというほかない。まして、本件では、その寄附行為についての設立許可前に表意者たる千代二郎は死亡したのであるから、民法第一〇二三条にいう生前処分その他の法律行為は不成立のまま終つたのであり、その遺言が取消されたものとするべき事実はない。

(二)  右生前寄附行為に、生前処分その他法律行為に当るものがあるとしても、その寄附財産である株式は、遺言によるものも生前のそれによるものも、株券の記号番号その他によつて特定された特定物ではない。両者の寄附財産は、いずれも単に財団設立後財団に引渡すべき時において千代二郎の権利に属する前記会社株式中の何株というだけの不特定物であるから、右生前処分が遺言と抵触する関係は生じない。

仮に、両者が千代二郎の持株という意味で特定していることになるとしても、生前寄附行為の寄附財産は二〇万株、千代二郎死亡時のその持株は総計三一三、二六五株であるから、少くとも一一三、二六五株については遺言による寄附行為と生前寄附行為との間に抵触はない。

(三)  仮に、生前処分行為が成立し、その寄附財産である株式が特定物であるとしても、右生前処分は停止条件附のものであるから、遺言と抵触する処分等があつたことにはならない。すなわち、財団法人の設立は主務官庁の許可によつてその効力を生じるものであり、それまでは寄附財産は寄附者の権利に属したままなのであるから、財団法人設立を目的とする意思表示は、主務官庁の許可を法定停止条件とするものである。そして、停止条件附法律行為は条件成就前は効力を生じないから、右条件である許可があるまでは、その生前処分が遺言と抵触するということはありえない。

すなわち、第一には、右のように生前処分が財産権変動の効果を生じていないから抵触しないのであり、第二に本件の場合、千代二郎の生前寄附行為の真意は、それについての官庁の許可があり、財団法人設立が確定しないうちは、先にした遺言による財団設立の企図を放棄したり、取消したりすることにならなかつたからである。千代二郎が遺言で財団法人設立を企図したのは、自分が主宰していた三桝紡績株式会社が自分の死後も安泰であることを望んだことにあり、それに寄与するものとして右財団設立を企図したのである。生前に財団を設立することは、その目的のため必要でないばかりか、かえつて自己の持株が財団に移り、右会社における自己の発言権、地位が弱くなるので、本心は生前設立を望んでいなかつた。ところが、紡績業界の有力者であり、千代二郎もその恩を受けていたし、その支援を受けたく思つていた伊藤忠兵衛に育英のためということを強調して財団設立の計画を述べたところ、伊藤からそのようによいことをするなら、早く実行するようにといわれ千代二郎としては不本意ながら、伊藤に対する手前やむなく、前記の生前設立にとりかかつたにすぎない。その真意は官庁の許可があれば、財団を作り、寄附財産として株を手放すにせよ、その許可前に、遺言による死後の財団設立を取やめるなどという考えではなかつたのである。

(四)  前記生前寄附行為も、遺言によるそれも、ともに育英財団設立という同じ目的のものなのであり、千代二郎としては、そのいずれかによつて育英財団設立という一つの目的を達しようと意図していた。すなわち、生前寄附行為によつて確定的にその目的を達するまでは、遺言を予備的に存続させる意思であつたというべきであるから、生前行為の効果が確定するまでは抵触――取消はないものというべきである。それが千代二郎の意思と解すべきである。

(五)  以上のように、遺言は千代二郎の生前寄附行為によつて取消されたことにはならないのであるが、仮にそうでないとしてもその生前寄附行為が実現しなくなつたことによつて遺言は復活したものというべきである。すなわち、遺言後の生前処分が取消され、または効力を生じなくなるに至つたときで、しかも遺言者の意思が客観的に争う余地のないほど明白に遺言の復活を希望しているものと認められる場合には、遺言の復活を認めるべきである。ところで、千代二郎が、遺言によつてであれ、生前であれ財団設立を企図した動機は、いずれも、有為人材の育成、自己所有株式を子供等に相続させるよりは財団財産としてその散逸を防ぎ、よつて三桝紡績株式会社の健全な発展を望んだことであり、遺言によると、生前行為によると、その動機に変りはない。それであるから、千代二郎はその生前設立を本心は望んでいなかつたこと前述(三)で述べた如くであり、その設立手続を進める熱意に乏しかつた。千代二郎は、生前寄附行為をしたからといつて、遺言を取消す意思がないことを表明もしていた。従つて、生前寄附行為による財団設立が実現されえなくなつた時千代二郎は遺言どおりの財団が設立されること、遺言の復活を希望する意思であつたことは明かである。

そして、千代二郎が文部省に対してした設立許可申請書類は同省から返戻され、文部省がその許可をしないことは明かとなり、しかも千代二郎は死亡してしまい、生前寄附行為による財団設立は実現しえざる状況となつている。仮に、相続人たる被控訴人等が改めて許可申請をし財団設立の手続をとるとしても、右のように千代二郎の申請が不許可になつているのであるしするから、それは千代二郎の生前寄附行為に基く手続でなく、別人の別箇の寄附行為に基く手続となろにすぎない。しかも、相続人等の共有財産となつている(被控訴人等の主張に従えば)株を寄附財産とするというその処分行為は少くとも生前寄附行為を認めない控訴人清水英一がその相続共有者の一人である以上、実現しうべくもないし、被控訴人にその実行の意思ありとは思われない。

第三、

(一)  本件遺言と生前行為との目的はともに育英財団の設立であり、千代二郎の最終意思もそれであつた。従つて、生前行為でその目的が達せられたときは、遺言は取消されたとすることもよいが、目的到達不明の間は、遺言者はどちらかで目的を実現しようとの意思なのであり、遺言を失効させる意思でないことは明かである。すなわち、生前寄附行為に基づく手続、効果のすべてが確定するまでは、遺言に抵触し、これを取消す効果を持つ行為は存在しないというべきである。

(二)  しかも、本件では、寄附財産が不足との理由で主務官庁から申請書が返還され、生前の寄附行為はその目的達成されないまま、遺言者千代二郎は死亡したのである。そのような場合、主務官庁に対し資産を増強して改めて許可申請をしたところで、それは新な、別個の行為であり、別の寄附行為に基くものである。前の寄附行為は当然にその存在が失われたもので、遺言と抵触する処分等の存在はなくなつている。

(三)  仮に、生前寄附行為により、遺言が取消され、しかも生前行為が千代二郎死後も存続しているとしても、その生前寄附行為を承継して爾後手続をなすべきものは、千代二郎の相続人である被控訴人等でなく、千代二郎の遺言執行者たる控訴人等であるべきである。従つて、控訴人等を以て遺言執行者でないとする被控訴人の請求は失当である。

(四)  さらに、本件遺言は、生前寄附行為によつては――それについての主務官庁の許可の有無にかかわらず――抵触による取消しとはならない。すなわち、先にも述べたように二つの寄附行為は、千代二郎に属する株を基本財産とし育英事業を目的とする財団法人設立という同じ目的を有するもので、両者は矛盾抵触するものではない。千代二郎の生前寄附行為は、遺言内容を生前に実現する行為の手続の一部であり、遺言の実現行為である。遺言の目的としたところを生前に実行しようとしたもので、矛盾抵触するものではない。生前寄附行為につき許可があり、法人が設立されれば、遺言はその目的の到達、実現により、遺言執行が不必要となる意味で、失効することとなるが、それは民法第一〇二三条所定の取消によつてではない。その許可がないうちは、生前、遺言の二つの寄附行為が両立して成立存続する。

例えば、ある者に土地を遺贈する旨遺言した者が、生前にその土地を同一人に贈与すべく承諾の期間を定めて贈与の申込をしたが、これに対する承諾が到達しなかつた場合、生前贈与の申込という法律行為がその目的を達成し、贈与が実現するに至れば、遺贈はできなくなり、従つて遺言と矛盾抵触する生前行為があつたものとして遺言が取消されたものと解するときは、受贈者は生前贈与によつても(その契約不成立により)、遺贈によつても目的土地を受けえなくなるが、かかる結果が遺言者の意思に反するものであることは明かである。これは、本件の場合がそうであるように、遺言内容を生前に実現しようとして生前行為をした場合は、民法第一〇二三条の適用がないことを示す。

第四、千代二郎が遺言で財団設立をはかつた真の目的は、さきにも述べたとおり、自己の所有すべき三桝紡績株式会社の株の相続による散逸を防ぎ、右会社の発展をはかることにあつた。育英事業のためというのは、実は、右の主目的にそえられた副次的なものないしは右の目的のための手段にすぎなかつた。従つて、千代二郎としては、その死後の財団設立をこそ望んでいたのであり、生前の設立は右目的からいつて不必要であるばかりか、千代二郎にとつて困ることにもなるので、これを望んではいなかつた。つまり、生前に財団を設立すると、千代二郎はその所有株を失い、会社に対する支配力、外部に対する信用力、さらには自己の個人収入の減少を来すこととなる。さらに、生前設立により、千代二郎は当然その理事長に就任することとなるが、同人は文盲のためその任にたえないことを知つていた。

その故に、千代二郎は前記伊藤忠兵衛の勧奨に、真実困惑し、やむをえず、それに従つたのであるが、その設立が実現しないことを願い、遺言に基く財団設立の実現を望んでいたのである。遺言取消の意思など全くなかつた。

第五、寄附行為は相手方のない単独行為であるといわれるが、寄附行為そのものが、完結した財産処分行為であるのではない。寄附行為は財団設立を目的とする意思表示ではあるが、その行為当時には出捐を受けるべき法人はまだ存在していないのであるから、寄附行為とは法人が成立されたときはこれに出捐しようとの試図にすぎない。財団法人の設立という法律効果は設立者の寄附行為という私法上の意思表示と官庁の設立許可という公法上の意思表示とによつてはじめて発生するものである。右の二つの意思表示が相まつてはじめて共同の目的が達成されるという点で申込と承諾という二の意思表示の結合によつて契約が成立する関係に類比しうる。契約において申込という意思表示だけでは申込者にとつても完結した法律行為とはならない。例えば、ある特定財産を甲に遺贈する旨の遺言をした者が、その後、同一財産を乙に贈与する申込をしただけでは、申込という法律行為があつても、遺言に抵触する処分行為があつたというべきではない。乙が右の申込を拒絶したときは、結局贈与なる生前処分行為は成立せず、抵触処分行為はなかつたのであり、遺言の失効を認めるべき余地はない。寄附行為と官庁の許可との関係もこれと同様で寄附行為がされても許可が得られなければ、処分行為はなかつたことに帰するというべきである。

本件において、千代二郎が生前寄附行為をしても、その許可が得られなかつたのであるから、遺言と抵触する処分行為があつたことにはならず、従つて、民法一〇二三条により遺言が失効するという事態は生じなかつたわけである。」

控訴人清水英一代理人は次のように述べた。

「(一) 控訴人広瀬、辻井両名の右主張中その第二と同一の主張をする。

(二) 千代二郎は、遺言により三〇余万株を基本財産とする育英財団の設立を志したのであるが、その後、そのうち約一〇万株は前記会社における自己の地位を保全するため留保し、差当り二〇万株で同様の育英財団を設立して、一まずその形を整え見とどけた上、留保の約一〇万株はこれを死後に追加して、当初の目的を達成しようと考えるに至つた。それで、生前寄附行為におよんだのであつたが、その提出した設立許可申請が主務官庁から補正を求められ返されたため、熱意を失い、死亡によりその生前設立は立消えとなつた。

すなわち、千代二郎生前行為の実体は、当初の遺言にそつて、その一部を生前に実現させようとしたにすぎず、従つて、それが実現したときはその限度において遺言は目的到達ないし消滅により存在理由を失うこととなるとはいえその場合でも、残りの約一〇万株について遺言は成立後の育英財団に対する遺贈として有効に残存する。まして、生前寄附行為に基く財団設立が実現不能となつた現状においては、遺言はそのまま有効に存続しているというべきこと明かである。」

控訴人三名代理人はさらに次のように述べた。

「(一) 遺言取消の場合、その意思は明白に表明されなければならない。民法は、その故に原則としてその取消については遺言と同一の方式によるべきものとしている。従つて、生前法律行為が遺言と抵触するため、遺言が取消されたものとみなされる場合の抵触は、遺言方式による取消において明白に認められるほどに明白な抵触であることを要するというべきである。

そのように明白な抵触であるか否かは、両行為間の関係についての客観的観点と、行為者が生前行為をするにつき遺言内容との関係について意図したところは何かの主観的観点とから定められるべきである。すなわち「後の行為を実現させるときは遺言の執行が不能となるか否および諸般の事情から観察して後の行為が遺言と両立させない趣旨のもとにされたことが明白であるか否との二点から判定されるべきである。

また、その抵触するか否は、生前行為が法律上の効力を生じた時を基準として定められるべきものであり、生前行為がなされた時を基準とすべきではない。法律行為がされただけでまだ効力が発生せず、浮動状態である間は、遺言を取消す意思が明白とはいえないし、その行為を実現するときは遺言の執行が不能となるか否を判定しようにも、効力が発生していなければその行為を実現する由もないからである。

従つて、生前行為が停止条件附であるときは、それが本件のように主務官庁の許可という法定条件であつても、条件成就未定のうちは、その効力が生じていないのであるから、客観的観点からも、主観的観点からも、未だ抵触するか否、判定しえないわけである。

本件において、千代二郎が生前にした寄附行為は主務官庁の許可ないままで、千代二郎の死亡に至つた。従つて、現時点においては、前記客観的観点から見て未だ遺言と抵触する生前行為はなく、主観的観点からすれば、千代二郎は生前に財団設立を見るに至らないときは、先にした遺言による財団を設立したい意思であつたのであるから、抵触、取消の意思はむしろ明白になかつたのである。

被控訴人、補助参加人等代理人は、次のように述べた。

「第一、控訴人広瀬、辻井のいう原判決事実摘示訂正は、不当である。右控訴人等は原審で右事実摘示どおりの主張をしていたのであり、右訂正の陳述は、訂正に名をかりた自白の撤回である。自白撤回には、異議がある。

第二、原判決の事実認定、千代二郎の意思解釈、法律解釈はいずれも正しいのであり、これと異る控訴人等主張は、事実に反し、法律解釈として誤つている。

(一)  控訴人等は、設立許可前の寄附行為だけでは、遺言と抵触する処分、行為は成立していないと主張する。しかし、民法第一〇二三条が、遺言後の行為によつて遺言が取消されたものとみなすとしているのは、遺言者の行為から看取されるその通常の意思が遺言と矛盾し、これを撤回したものと見られるとき、その最終意思をそれ以前遺言に示された意思より尊重しようというところにある。従つて、それは、生前行為が法律効果を発生して始めて遺言取消となるとするのではない。抵触行為に現れた行為者の意思自体に立脚するものであるから、その行為が直に財産処分の効果を生じるか否にかかわるものではない。

(二)  そして、千代二郎がなした生前の寄附行為は、それ自体において明かに遺言寄附行為と抵触するものである。生前寄附行為が実現され、その財団が設立されるに至れば遺言寄附行為の執行は不能となるのはもちろんで、両者は両立せず抵触する。すなわち、右生前行為は遺言と抵触し、千代二郎のかかる行為から看取される通常意思は前にした遺言によるものにかえて生前財団を設立しようというもの、すなわち、遺言を取消すにあるというべきであり、その現実の意思もそうであつた。

(三)  控訴人等は、主務官庁の許可を以て、寄附行為に附せられた停止条件と同視し論じているが、それは誤つている。通常の条件は、行為者自らがその法律行為の効力を制限しようとして附けるものであるから、その条件不成就のときにはその法律行為の発効しないことを望だ意思といえる場合もあろうが、財団設立についての許可はこれと異る。財団設立のため寄附行為をする者は当初から全面的にその行為の法律効果の発生を意欲し無条件の寄附行為をしているのであり、外部の許可、不許可によりその効力が左右されはするが、行為者としては不許可時には財団設立を意欲しないというものではない。そういうものである許可を、それが財団設立の一要件であり、これを決定条件と呼ぶことがあるからといつて、通常の停止条件と同視し、停止条件附法律行為であるから、遺言取消とはならないというのは、失当である。

(四)  さらに、控訴人等は千代二郎が出した許可申請書の返戻を以て、設立不許可が確定し、生前寄附行為は実現しえなくなつたものと主張するが、これも誤りである。右返戻は、行政指導としてなされたもので、しかもその理由とするところは設立目的とか基本財産とか、財団の同一性を害するものの変更を求めたものでもない。不許可処分その他の行政処分としてなされたものではない。さらに、同一内容で許可申請をしても必ず不許可になるときまつたものではない。

(五)  控訴人等は、生前寄附行為による財団設立も遺言によるそれと同じ目的を達しようとしてのものであり、遺言の生前における実行である。千代二郎は遺言による財団設立の意思を放棄する意思はなかつたと主張する。しかし、両財団が法人格を異にするのはもとより、遺言による財団の基本財産は三〇余万株であるのに対し、生前行為のそれは二〇万株と相違している。もし、千代二郎が右のような生前寄附行為をしながら、遺言を存置しておく意思であつたとするなら、生前寄附行為による財団が設立されたとき、残る一〇万株は、如何に処置されるのか、その処置の方法がないこととなる。

(六)  しかも、千代二郎は生前設立許可を得たい意思で、その実現につとめ、文部省に提出した許可申請書についても、文部省の指導により、不備な箇所を訂正したり、理事予定者の構成を変えたりしている。伊藤忠兵衛の手前をとりつくろいその歓心をかうために、生前寄附行為におよんだのでもなければ、その実現を望んでいなかつたのでもない。生前寄附行為による財団設立が目的を達しえないときは、遺言寄附行為による設立をはかる意思があつたわけではない。

(七)  千代二郎として、生前に財団を設立したところで、会社に対する支配力や対外信用が減少することなどない。かえつて、その人格、識見を高く評価され、会社に対する支配力、社会的信用は強化され、その名誉欲さえ存命中にみたされうるに至るのである。

(八)  遺言により千代二郎が設立を企図した財団と生前行為によるそれとは次に示すように、明かに別のものである。すなわち、それは、名称を異にし、目的においても、一は単に教育に関する寄附をするものであり、他は特に身体強健、成績優秀な貧困家庭の子弟の進学教育に資し、人材養成することを目的とする。対象財産の範囲、その運用における両者の差異は殊に顕著であるし、役員の任命方法、その数もまた両者相異つている。そのように、相異する法人の設立を定めた生前寄附行為が遺言と同一であり、抵触しないとは到底見られないのであり、遺言は右のように明かにこれと抵触する生前寄附行為により取消されたものとみなされるべきことは明かである。

(九)  寄附行為は、一の単独法律行為であり、その意思表示がなされたとき、一の法律行為として成立し効果を生じる。官庁の設立許可の有無は寄附行為なる意思表示、法律行為自体には何の影響もない。従つて、生前行為たる寄附行為が遺言と抵触するか否は、その寄附行為がなされた時点、すなわち公証人によつてその公正証書が作成された時において、その表示から認められる行為者千代二郎の効果意思を検討し、遺言と対照し、それと抵触するか否か決定されるべきである。官庁の許可があつた時点において定められるべきであるとか、許可がないうちは抵触有無の問題はおこらないとかいう控訴人等の主張は誤つている。」

証拠<省略>

理由

民法第一〇二三条第二項所定の「生前処分その他の法律行為」とは、それによつて第三者が、物権、債権その他の権利を取得しあるいは義務を免れるもの、すなわち、その行為者がそれによつて義務を負担し、あるいは権利を失う行為を指し、行為がなされても、それだけでは行為者が第三者に対する義務を負担するに至らない行為、第三者が権利を取得し、義務を免れるに至らない行為、たとえば契約の申込という法律行為などはこれに含まれないものと解される。

すなわち、右規定が、生前処分その他の法律行為で遺言に抵触するものに、遺言取消の効果を認めたのは、そうした行為からは、遺言取消の意思が推測されるのが通常であるとし、かかる遺言者の意思を尊重するという考えに基くものであろう。しかし、遺言者の遺言取消の意思が最も明かに表明されているものというべき単純に遺言を取消す旨の意思表示もそれだけでは遺言取消の効果を認められず、遺言の方式によることが要求されている(民法第一〇二二条)し、他方、遺言者が遺言と明かに抵触する生前処分その他の法律行為をした場合は、仮にその行為当時遺言者が自分のした遺言の存在を忘却しており、従つて遺言取消の意思があつたとはいえない場合でも、遺言は取消されたこととなるとされる。すなわち、一方では、遺言取消の意思もそれだけでは遺言取消の効果を認められないとともに、他方必ずしも遺言取消の意思があるとはいえなくともその取消とされる場合があることを法は規定している。そうした法の趣旨から見れば、第一〇二三条第二項の法意は、遺言者の意思尊重を基礎とすることはもちろんであるが、それとともに、生前行為により権利を取得するに至つた第三者(例えば、遺贈目的とされた財産を生前贈与を受けてその所有権を取得し、あるいは、その贈与契約により所有権移転を求めうる債権を取得した者)が現れるに至つたときは、そうした第三者の保護をも考慮し、これとの比較において遺言による受益者は譲るべきものとして遺言取消の効果を認め、遺言による受益者と生前行為による受益者との間におこりうべき紛争を防止しようとするものと考えられる。契約申込などの法律行為は、その中に遺言取消の意思が読みとられる場合もあろうが(例えば、遺贈財産につき生前、第三者に贈与、売買の申込をしたときなど)、それが承諾され、契約成立に至らないうちは、その相手方は未だ権利を取得するに至らないのであり、右申込は単純な意思表示に止る。かかる単純な意思表示のうちに遺言取消の意思が読みとられうるからといつて、直ちに遺言取消の効果を認めることは、独立した、明かな遺言取消の意思表示が、それだけでは(遺言の方式によらねば)、遺言取消の効果を持ちえないのと均衡を失する。また、右のような契約申込という法律行為自体に遺言取消の効果があるものとすると、それが撤回され、あるいは承諾拒絶、または承諾がなかつたことにより失効するに至つたときも、遺言は取消されたままで回復しないこととなる(第一〇二五条)が、かかる場合、遺言を失効したものとするのが妥当か、疑わしい。さらに、前述のように、その行為当時、遺言取消の意思が現実にあつたか否、必ずしも明かでない場合にも、遺言取消の効果が認められることは、遺言者の意思尊重よりは、むしろ生前の受益者への考慮が意味あるものとされる場合もあるといわざるをえず、かかる保護、考慮に価するものは、生前行為によつて、それが債権であれ、権利を取得するに至つた者でなければならないであろう。少くとも契約申込の意思表示をしただけで、相手方に到達しないうちは、申込という法律行為がなされ成立したことは明かであつても、遺言取消の意思いかんにかかわらず、遺言取消の効果をかかる申込行為に与えることによつて保護されるべき相手方は存在しないわけである。

以上のことは、申込も一の法律行為ではあるが、それがなされたというだけでは、その申込自体を以て、民法第一〇二三条第二項所定の処分または法律行為がなされたものとして遺言取消の効果を認めることが必ずしも適当でないことを示すものといえる。

すなわち、法律行為であつても、それが直に第三者に権利を与え、あるいは義務を免れさせるものでないときは、右法条にいう生前処分その他の法律行為には当らないと解するのが相当である。

ところで、財団法人設立のための寄附行為は、それ自体一の法律行為ではあるが、主務官庁の許可あるまでは、法人設立の効果を持ちえないばかりでなく、第三者になんらかの権利を発生させるものでもない。また、その行為者自身についても、なんらかの行為をしないと、その行為をするべき強制を受け、あるいは法律上の不利益を受けることとなるという意味における法律上の義務を課するものでもない。その寄附財産につき権利を失うものでもなく、許可申請その他の行為をしなくとも、これをするように他から強制されることはないし、賠償責任その他の不利を負うものでもない。とすれば、寄附行為という法律行為も、前述の第三者に権利を与え、あるいは行為者に義務を課するものではない行為の一に属するものというべく、生前寄附行為が遺言と抵触する如き内容を含んでいても、それだけでは遺言を取消す効果はないものというべきである。

そして、清水千代二郎が昭和三一年一月一三日被控訴人主張の遺言を以て、原判決別紙第一記載の財団法人清水育英会設立の寄附行為をしたこと、その遺言が取消されず有効に存続している限りは、控訴人等三名がその遺言執行者たるべきことは、当事者間に争のないところと認められる。さらに、右千代二郎がその生前で右遺言後の昭和三一年一二月二五日原判決別紙第二記載の財団法人三桝育英会設立の寄附行為をしたことは争がないが、これについての主務官庁の許可は未だされていないことが争ないところである以上、前記遺言に抵触すべき生前処分その他の法律行為に当る行為がされたものとはなしがたいこと前述のとおりであり、他に右遺言が効力を失つた事由につきなんら主張のない本件においては、右遺言は少くとも現在は有効に存続しているものというべきである。

すなわち、右遺言が取消され失効したことを前提とする被控訴人の本訴請求は他の点を判断するまでもなく失当というべきであるから、これを認容した原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却する。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条、第九四条、第九三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 県宏 越川純吉 西川正世)

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